今回のご紹介は大山町の名和神社です。大山町の9号線沿いに案内板があるのを見て前から気になっていました。近所のおいしい讃岐うどん屋さんへ寄るのも兼ねての参拝です。参拝した5月6日は夜にお祭がある日で、かがり火などの用意をされてました。以下は案内板からの抜粋です。
建武の忠臣名和長年公はじめ、一族四十二名をまつる神社。元弘三年(1333年)、長年公は隠岐島に流されていた後醍醐天皇の脱出を助け、天皇を船上山に迎え鎌倉幕府軍を破った。
後醍醐天皇は、この年、鎌倉幕府を倒し、天皇親政を復活(建武の新政)、長年公はこの新政権で重用された。現在の社殿は昭和十年に完成。建築界の重鎮伊藤忠太の指導のもと、明治神宮を造営した角南隆が手がけた。本殿から日本海を望むと、海を越え一直線上に後醍醐天皇隠岐行在所がある。また境内は名和公の米倉があった所で、合戦の折りこれを焼き払ったため、神社の裏から今でも焼き米がでてくる。
五尺の大太鼓がしまってある
大太鼓の由来
ツツジが満開でした。
鎮座地:鳥取県西伯郡大山町名和556
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