坂本神社 (さかもとじんじゃ・雲南市大東町薦澤923番地3)

坂本神社と蛍

 坂本神社(2011.6.15)


今回は坂本神社のご紹介です。八雲山の麓、木次松江線の忌部へ向かう登坂車線のすぐ右脇に鎮座します。境内はきれいに整備されており、鳥居後ろの見事な2本の杉の大木が印象的でした。以下の御由緒は境内の案内板より、

坂本神社 御由緒

御当社の御祭神は大国玉命 "おおくにたまのみこと"(大国主命の別称)と申し上げ父神須佐之男命の御偉業をお継ぎになり、当出雲地方開発の業を大成せられ、医薬の方を司り給いしその御神徳を尊み畏みて、茲に氏神として奉斎申し上げたのである。
創立の年代は、延宝年中(西暦一六七三〜八〇)不慮の事故にて棟札等古記録を失い不詳なれど須我神社の古記録から天正五年(西暦一五七七)以前の創立に疑いないことがわかる。

御社名は須佐之男命 稲田姫命と須賀の地に宮居し給い「八雲立つ」の御神詠あり。
その地御室山の坂本に当る故「坂本神社」と称したと伝えている。
御社地は古くは現在の引坂部落にあり現にその辺りを「風呂の本」と称している。然るに時代の推移に伴い現在の薦沢の地も発達し人家も増え過密となり参拝の不便も生じた 事などから現在地の南方地続きの地に写し奉斎申し上げたのである。

「雲陽誌」に「鳥居松と申す松一本田の中に御座候、昔は神を祭りし由」と見え現在この地を「清浄久保」と称し例大祭には御神輿の御神幸がある。
その後いつの頃からか不詳なれども地続きの現在地に移り奉り境内も拡張整備され御神威益々高揚しているのである。

このように古くは薦沢引坂部落の氏神として崇敬されたのであるが明治初年行政区画の改正により薦沢部落の氏神として今日に至っている。


例大祭十一月五日
新嘗祭十一月二十八日
祈年祭二月二十五日




神社横の用水路で撮影。

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露光時間を長めにした。街灯が多くて明るい。


鎮座地:雲南市大東町薦澤923番地3



















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