松本清張の「砂の器」の舞台になった湯野神社の紹介です。数年前に千住明氏のピアノ協奏曲「宿命」をテーマに放送されたドラマは記憶に新しく、神社の入り口や参道などが登場していました。正面向かって左には松本清張氏の功績をたたえた記念碑が建てられています。
「砂の器」記念碑
湯野神社由緒沿革
湯野神社は、いつ頃創立されたか明らかではないが千数百年前につくられた本の「出雲国風土記」や、菅原道真公等が編集した「三代実録」にその名が見え非常に古い歴史のある神社であることがわかる。
亀嵩温泉の医薬の神として大己貴命、少彦名命他三柱の神を主祭神として祀っている。
境内末社の玉作神社は「出雲風土記」にのる神社で大昔、玉峰山から産出した水晶で玉を造っていた玉造部の祈願社であったが、長い変遷を経て明治十二年に湯野神社に移転した。
湯野神社の古文書、棟札、幟、鳥居に残っている神社名は、温沼神(ユヌノカミ)・大森大明神・大森社・亀嵩大社・亀嵩神社中湯野村社となっており、時代によって改められ、二十四斛(コク)四斗二升の社領を戴いていた。
徳川時代までの神主は、正神主・権神主・下職で、その他神社の寺の常連寺があったその常連寺焼失後、谷奥の青龍寺の住職と共に祭祀にあたった。
「三代実録」に平安時代、清和天皇の貞観十年に従五位下、同十三年に従五位上の高位を授けられたとあり、
その頃の隆盛をを窺い知ることができる。徳川時代の遷宮の棟札に、湯野神社を大氏と称して一名の総本願を出し亀嵩の春田神社、星神社、久比須神社、鹿島神社からそれぞれ一名の村本願を出し、共に遷宮の神事の費用を分担して奉納したとある。
そして、当神社を亀嵩大社と称していたことから、亀嵩の総氏神であったと思われる。
明治四年に郷社制度が制定されるや、直ちに郷社に列せられ、明治四十一年に亀嵩地内の四社を合祀し昭和六十年には島根県神社庁特別神社の指定を受けた。
当神社には、世襲の巫職があって、徳川時代の「雲陽誌」によると、早乙女神楽や御幸神事を奉納していたとある。
この神事は、徳川時代の末に中断していたが昭和六十年に復活した。
また、文久三年に、十二代の横綱となった陣幕久五郎が雲伯出世相撲場を開設して以来、例祭の日、出雲や伯耆の国の力士を集めて雲伯出世相撲を盛大に開催した。
【主祭神】
大己貴命 少彦名命 爾々藝命
事代主命 三保津比賣命
境内神社 玉作神社
櫛明玉命 大己貴命 少彦名命
(明治四十二年合祀例により当社に遷座)
【例大祭】十月二十一日 【後祭】十月二十二日
【除夜歳旦祭】十二月三十一日〜一月一日
【節分祭】二月節分の日 【祈年祭】三月二十一日
【新嘗祭】十一月二十一日
参道にある味わいのあるランプ。灯が入った姿を見てみたいところ。
本殿横
鎮座地:仁多郡奥出雲町亀嵩1284
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