私、ボウがはじめての神社リポートをいたします。普段ほとんど神社に行くことがないので緊張します!
松江市和多見町にある賣布神社(めふじんじゃ)は、飲み屋街の通り沿いにあり、目にした事がある方も多いと思います。私も普段は千鳥足で横を通るだけで、中がどうなっているのか気になっていました。
境内は予想以上の広さで、木がたくさん生えています。神主さんの話によると、この神社は大自然の営みに存在すると信じられている神を祀る、島根県内でも珍しい神社なのだそうです。
風土記の社 延喜式内社 賣布神社御由緒
一、御祭神
主祭神 速秋津比賣神(水戸ノ神、祓戸ノ神)
相殿神 五十猛命、大屋津姫命、抓津姫命(樹種ノ神)
摂社神 櫛八玉神(漁労、調理、製陶ノ神)
二、御神徳とその意義
当社は遠く神代において摂社の御祭神である櫛八玉神が潮の流れの中にあるとされる速秋津比賣神を生命の祖神としてお祀りになったことに始まり、後に樹種の神とされる相殿の三神が合わせ祀られたと伝えられています。
このことは、海の潮の働きと地上の樹木の働きがあいまって海河山野の幸がもたらされ、人々も生かされていることが示されているのです。
神ながらの道の原点は、大自然の営みに畏敬の念をはらい、自己の生き方を律して、諸々の禍いや過ち、そして気枯れ(穢れ)などあればこれを見直し、人本来の生き方や生命力を甦らせることにあり、それが「祓え・清め」の真の意義でもあります。
そのための活力(気)は、「潮の気(水気や塩気)そして、樹木の気に宿る神々によってもたらされる」と、信仰されてきたのです。
三、社名と神社の歴史について
当社は、「出雲国風土記」に「賣布社」、「延喜式」には「賣布神社」と記された古社であり、社名の『めふ』とは、海藻や草木の豊かに生えることを意味しています。当社の元の鎮座地は、古代名の意宇の入海(今の宍道湖)の西部湖岸と考えられ、潮の流れや地形の変動に伴い遷座され、岩崎鼻(袖師ガ浦)に鎮座した時代もあり、潟地が広がって白潟の地が形成されて現在地に遷座されたのが十三世紀頃と考えられ、「白潟大明神」とか、十五世紀には「橋姫大明神」とも称され、水郷「松江」の産土神として鎮座しました。
また、中世には港町「白潟」の宮座の権利として神田や漁業権を保有してきた歴史があり、祭儀では摂社の「櫛八玉神」の御事蹟と関連して、古代神話の国譲りの段に因む神事が継承されてきました。
四、主な祭儀
一月・・・歳旦祭、潮会の祭(鼕開き)
二月・・・節分祭(立春祭)
五月・・・春祭
六月・・・大祓祭(夏越祓)
七月・・・夏祭り(船神事)
十月・・・例大祭《御饗の神事(すずき祭)(焚火の神事)》
本殿にお参りし境内の奥へ進むと2つの祠があります。 その更に先は公園の様になっており、ベンチが2つ並んでいます。神社の中ではありますが外国の公園を思わせる雰囲気で、神社デートに最適なポイントです。
そして、一番奥では狛犬2体が対になって座っています。表面はだいぶ朽ちていますが貫禄があってかっこいい姿です。
この神社には立派な大木がたくさんあります。自然界のあらゆる物に神が宿るとのいわれが、なんとなく納得させられる様な気がします。
賣布神社の謎が解けてすっきりです。ここはいろいろと発見があってすばらしい場所でした。
写真と文章:ボウ a.k.a.タイチョー
鎮座地:松江市和多見町81
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