菅原天満宮 (すがわらてんまんぐう・松江市宍道町上来待1834)

菅原天満宮と野見宿祢

 菅原天満宮(2008.12.20)
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今回は松江市宍道町の菅原天満宮のご紹介です。国道9号から川沿いの道を案内にしたがって 昇っていくと左手の山に鳥居が見えてきます。受験シーズンで参拝される方が多いのか本殿は開いたままになっていて、社務所の前にお守りや絵馬が沢山並んでいました。 ここ菅原は菅原道真公がお生まれになった地とのこと。受験祈願、学業成就など是非御参拝ください。
以下は境内の案内より

【御祭神】
天満大自在天神 菅原道真公
【祭日】
三月二十五日春の大祭(例大祭)
一月二十五日初天神祭
八月二十五日 夏の大祭
十一月二十五日秋の大祭(新嘗祭)
毎月二十五日月次祭

御祭神菅原道真公は、承和十二年(西暦八四五年)六月二十五日この出雲国菅原の里でお生まれになったと伝えられています。
道真公の父君菅原是善卿が出雲の国庁にご在任の折、菅原家の祖先野見宿祢(ノミノスクネ)の墓に参拝するため今お菅原の里をたずねられ、その道案内した乙女を気に入られて寵愛され、その間に生まれた御子が道真公であるといわれます。
道真公六才の春、母君に伴われて都に上がり、父君是善卿と再開されて以後父君のもとで学問に励まれ、学者文人としての人なみ優れた才能が開花したのです。
(「菅原聖廟記」より)
道真公が左遷され無念の死をとげられた後、公をお慕いしていた菅原の里人たちは、天暦五年(西暦九五一年)この地にお宮を建ててお祀りしていましたが、その後七百年を経て、松江藩の松平直正公がご信仰篤く、寛文三年(西暦一六六三年)六月三十日、 東北の名木なる羅漢松を以て新しい社殿を造営されました。
(現在の本殿がほぼ当時のものです。)
また御扉には松江藩の絵師狩野永雲の筆による五彩の雲に金泥の双龍が描かれています。(この御扉は昭和十五年の正遷宮の時に取りはずし、社宝として参拝者の拝観に供しています。)
その後松平家累代の藩主が御造営に御祭祀につとめられましたが、明治五年以後、この菅原地区の氏神様としてお祀りするようになり氏子の方々はもとより県内外の多くの崇敬者の尊崇を得て今日に至っています。

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野見宿祢の墳墓への案内。50mほど登ります。
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墳墓の上に大きな木が。歴史を感じます。

【野見宿祢 (ノミノスクネ)】
野見宿祢は、大国主命の国譲りに際して高天原から出雲国へ使節として下られた天穂日命の十四世の子孫と伝えられます。
出雲国で生まれた野見宿祢は、垂仁天皇に召され、大和国の勇士当麻蹶速(タイマノケハヤ)と御前において力競べをして蹶速を負かした勇者として知られています。これが相撲の起源とされ、野見宿祢を相撲の神様として祀っている神社もあります。
また垂仁天皇の皇后日葉酢媛命 (ヒバスメノミコト)の葬儀に際し、それまでの殉死者を埋葬する風習をやめて、土偶(埴輪)を作ってこれに代えるように提案した人としても知られています。
そのため、後に土師宿祢(ハジノスクネ)と改称し、陵墓の増築などに当たったといわれています。

鎮座地:松江市宍道町上来待1834


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