武蔵境の杵築大社(きづきたいしゃ)の紹介です。
関ヶ原後の堀尾氏、京極氏につづく初代松江藩主、松平直政公が出雲にある杵築大社を勧請してこの地に社を建立した事が始まりです。杵築大社は出雲大社の江戸時代以前の別名で、当時の出雲大社の周辺の地名(杵築郷)からきています。 戦後、出雲の国、美保関町の美保神社から事代主命を勧請しています。武蔵野市にここまで出雲繋がりのお社があることに大変驚いています。鳥居をくぐると境内は神事のエネルギーであふれています。特に左側の富士浅間大社のある富士山のあたりがつよく感じます。写真には写せませんでしたが、神木の袂にある二つの小さな祠にもお参りください。
杵築大社 きづきたいしゃ
御祭神
大国主大神
事代主大神
由緒
この神社は、杵築大社といい、今から三百六十年前、徳川三代将軍家光の従兄弟で、家康の次男、松平秀康(越前国六十七万石領主、福井北ノ庄城城主)の三男、松平出羽守直政(出雲国松江二十九万石領主、松江城城主)が、当初十二町四方を御用屋敷と定め鷹狩りをして遊ばれたところと伝えられております。
出雲の殿様、松平出羽守直政公は大変信仰厚く、当屋敷内に徳川幕府の繁栄と天下泰平を祈願され、出雲の杵築大社(現在の出雲大社)と稲荷様をご創建されました。
承応年間、徳川四代将軍家綱は、玉川上水を築き新田開発を行ったので、当初、松平屋敷奉行境本?馬太夫(さかいもとちまたゆう)は長百姓となり、境新田の開拓につとめ、子孫、境本中右衛門は境村の名主として村人と共に活躍した。
貞享年中、当社は後上地となり、境村の氏神社として大社様と呼ばれ、崇敬されるようになった。
戦後、神社信仰衰微による啓蒙的願望と地元商店会の発展を念願して、商売繁盛の神、出雲の美保神社よりえびす様を勧請し、大黒様と共に「恵比寿・大黒」二福神を祀る大社として、地元住民はもとより近隣市町村の人々から広く、崇敬をあつめている神社です。 境内社に八坂神社・稲荷神社・富士浅間神社・金比羅様・そして弁天様があり、特に三大祭は盛大に行われます。
ご神木の銀杏。圧巻です。
富士山の参道。富士登山や七富士参りをする際、道中の安全を祈願します。
山頂にある富士浅間大社
後光が差してます。
鎮座地:東京都武蔵野市境南町2丁目10−11
駐車場有り
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