岩槻 久伊豆神社 (ひさいずじんじゃ・埼玉県さいたま市岩槻区宮町2-6-55)

久伊豆神社 岩槻 - 出雲族土師氏が創建した1,400年の社

 岩槻 久伊豆神社(2015.6.01)
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岩槻の久伊豆神社の紹介です。

埼玉県に多い神社で「ひさいず」と読みます。神社庁のホームページでも44件の久伊豆神社が登録してあり、御祭神は大国主命です。御祭神からも出雲との繋がりが深そうに感じます。

境内の由緒にも1,400年前、出雲族土師氏(はじうじ)が建立したとあり、1,400年前の古墳時代に武蔵国へ渡ってきた土師氏の方々が、大国主命を出雲より勧請したようです。

土師氏は古墳をつくる技術集団で野見宿祢(のみのすくね)が祖先とされる氏族です。野見宿祢は松江の菅原天満宮に墳墓があります。垂仁天皇に大和国で当麻蹶速(たいまのけはや)と力比べに呼ばれ、見事打ち負かし、相撲の原型になった逸話や、垂仁天皇の后が亡くなった際、殉死者を埋葬する風習を止めて、代わりに埴輪を埋葬するようにした方です。この最初の埴輪作りも出雲族が行ったそうです。また、この時に天皇より土師氏を賜り土師宿祢と改性したとあります。

天神様の祭神、菅原道真公の祖先も土師氏で、出生は松江の菅原天満宮の付近であるという説もあります。

久伊豆神社由緒
御祭神 大国主命
例大祭 四月十九日 十月十九日

久伊豆神社は、約1,400年前欽明天皇の御代
出雲族土師(はじ)氏が東国移動の際にこの地に大国主命を出雲国より勧請したのが始まりで、その後戦国時代には、相州鎌倉扇ヶ谷上杉定正が家老太田道潅氏に命じ、岩槻に築城の際、城の鎮守として現在地に奉鎮したといわれている。
江戸時代には、歴代城主より崇められ多数の宝物が寄進され、特に家康公は江戸の北東の鬼門除けとして祈願させられた。
神社境内は城址の一部で、元荒川が東北に流れ、市内でも数少ない貴重な社叢として知られる。
明治八年一月十一日、火災に遭い、時の城主、町民より寄進された社殿等鳥有に帰し、現社殿は、その後氏子崇敬者の 誠意により再建されたものである。
現在神域は次第に整い、神威はいよいよ高く神徳ますます輝きわたり、 岩槻総鎮守として広く人々の崇敬をあつめている。


IMG_3250.jpg IMG_3249.jpg 神木の榊。四百年以上の樹齢。


鎮座地:埼玉県さいたま市岩槻区宮町2-6-55
駐車場有り

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