【鎮座地】 平田市唐川町字後野四〇八番地
【主祭神】 素蓋嗚命
【由 緒】 出雲国風土記(七三三年)には韓銍社(からかまのやしろ)、延喜式神名帳(九二七年)には韓竈神社(からかまのかみのやしろ)と記されており創立は不詳であるが、非常に古い由緒を持つ神社である。
社名の、カラカマは朝鮮から渡来した「釜」を意味するとされている。即ちこれは、祭神の素蓋嗚命が御子神と共に新羅に渡られ、我が国に「植林法」を伝えられると共に「鉄器文化」を開拓されたと伝えられていることと、関係があろう。
又当社より奥部の北山山系が古くから産銅地帯といわれ、金掘り地区の地名や、自然銅、野タタラ跡、などが見られることと、鉄器文化の開拓と深い関係があるといわれている。
「雲陽誌」(一七一七年)によると、当社は素蓋嗚命を祀るとして古老伝に「素蓋嗚命が乗り給いし船なりとて、二間四方ほどの平石あり、これを「岩船」という。
この岩は、本社の上へ西方より屋根の如くさしかざしたる故に、雨露も当たらず世俗に「屋方石」という。又岩船のつづきに周二丈余り、高さ六間ほどの丸き立岩ありこれを「帆柱石」という。
社への入口は横一尺五寸ばかり、高さ八尺ほどの岩穴となっており、奥の方まで二間ばかりあり、これが社までの通路となっている」と記されている。
【例大社祭】 十一月三日