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佐太神社でおろち雲

佐太神社(2008.3.07) |Comments(0)|Trackback(0)
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今回は佐太神社の紹介です。松江市街から鹿島町へ向かって県道を車で10分程走ると左手の小山の麓に鳥居と駐車場が見えてきます。夕方の5時を回っていましたので本殿などの扉は閉まっていましたが、その人気のなさが逆に神秘的な度合いを増しているようでした。写真にもありますが、駐車場から三つのお社が見え、まずその迫力に圧倒されます。
今の御社殿は1807年に造営されたものとのこと。ここの御社殿も国の重要文化財です。

佐太神社御由緒(境内の案内板より)

【御祭神】
「北殿」天照大神(あまてらすおおかみ)瓊々杵尊(ににぎのみこと)
「正中殿」佐太大神(さたのおおかみ) 伊弉諾尊(いざなぎのみこと) 伊弉冉尊(いざなみのみこと) 事解男命(ことさかをのみこと) 速玉之男命(はやたまのおのみこと)
「南殿」素戔嗚尊(すさのおのみこと) 秘説四座

【御神徳・沿革】
当社は出雲国風土記に、佐太大神社或いは佐太御子社とあり、三笠山を背に広壮な大社造りの本殿が相並んで御鎮座になっているので佐太三社とも称され、延喜式には佐陀大社と記され、出雲二宮と仰がれて来た御社である。
主祭神佐太大神"猿田毘古大神(さるたひこのおおかみ)"は、日本海に面する加賀の潜戸にご誕生になり、出雲四大神の一柱として崇められ、古くから導きの神・道開きの神・福の神・長寿の神・陸海交通守護神・鎮守の神として信仰されてきた。
御本殿は三殿並立で中央が正中殿、向かって右が北殿、左が南殿、いずれも大社造りで、この様な豪壮な三殿構えは平安時代末期に成立したようであり、他にも類例を見ないもので、神社建築史の上で特筆すべきものである。現在の御社殿は文化四年の造営であるが、その様式は古く元亀年間の造営を踏襲してきたもののようである。国の重要文化財に指定されている。

【神在祭】
十月を一般には神無月というが、出雲国だけは神在月と云っている。社伝によると、正中殿の御祭神伊弉冉尊の神去りました旧暦十月に八百万の神々が当社に参集されるので、幟も立てず、神楽もあげぬ厳粛な物忌みを行うことからお忌祭りとも云う。この祭りには神迎え神事、速注口(しめくも)神事、神去出(からさで)神事、船出神事、止神送神事、柴刺神事、宿借神事等があるので、古来当社を「神在の社」とも云っている。

須我神社で見たようなおろち雲が裏の山から放射状に7〜8本出ていました。
P1060478.JPG 江戸時代に宍道湖の水を日本海へ放流する佐陀川を作った清原太兵衛さんの記念碑。
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鎮座地:松江市鹿島町佐陀宮内73


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