川越の総鎮守である氷川神社の歴史は古く、その創建は欽明天皇の即位二年(五四〇年)九月十五日武蔵国足立郡氷川神社を分祀奉斎したと伝える。祭神は素戔嗚尊・奇稲田姫命・大己貴命・脚摩乳命・手摩乳命の五柱という。
長禄元年太田動真・動灌が川越城を築城するにおよび、動灌は当社を篤く崇敬し、
老いらくの身をつみてこそ武蔵野の
草にいつまで残る白雪
との和歌を献納している。江戸時代においても、川越城主の代々の尊敬篤く、毎年元旦には奉幣の儀が行われ、社家は登城城主目通りの上年賀を言上している。
本殿は川越城主松平斎常を筆頭として、同社氏子の寄進によって天保一三年(一八四二年)に起工され五カ年の歳月を要して建立されたものである。
間口十三尺五寸(四・〇八m)・奥行八尺二寸(二・四八m)の三間社・入母屋造で前面に千鳥破風及び軒唐破風の向拝を付した銅瓦ぶきの小建築であるが、彫刻がすばらしく、当代の名工嶋村源蔵と飯田岩次郎が技を競っている。構造材の見えかかりは五〇種におよぶ地彫が施され、その間江戸彫と称す精巧な彫刻を充填し、十ヶ町の山車から取材した彫刻や、浮世絵の影響をうけた波は豪壮華麗である。