松江城山公園内の北ノ丸付近に城山稲荷神社があります。
鎮守の森の遊歩道を歩いていき、森を過ぎたと思った所でいきなりどぎつい赤の鳥居があらわれ、心を刺激します。軽く異様な光景ですがとてもわくわく気分になりました。
入り口にあった案内板より
松江藩守護神
城山稲荷神社
御祭神宇迦之御魂神
譽田別尊
旧藩時代の貴重なる文化財を数多く蔵し、其の一部は常時拝観できる。
十二年目毎の当社式年神幸祭(ホーランエンヤ)は日本三大船神事の一といわれている。
入り口は鳥居の連続になっており、たくさんの狐がこちらを見ています。
石段のてっぺんにある門の手前にあまりリアルじゃなく、ツルリとした狐がおられます。かの小泉八雲がお気にいりだった狐を復元したものだそうです。
で、その元の狐もまだ境内にあるという事なので見てみると、もっとつるつるでした。目なんかは軽く消えかかっています。
境内は狐だらけです。小泉八雲が参拝に来ていた頃は数千もの石狐があったらしい。
ぱっと見では数千もの石狐はなさそうですが、色つきのミニ狐も合わせた数かもしれません。
大小様々な狐に囲まれて完全にアウェーの気分です。
境内は小さいながらも見所たくさんで、私にとっては今までに訪れた神社の中でナンバー1の好神社です。
案内板より
城山稲荷神社式年神幸祭(ホーランエンヤ)
当社は、徳川家康公の孫にあたる松平直政公が藩主として入国した翌年藩内の安穏と繁栄を祈念して、かねて信仰していた稲荷大神(宇迦之御魂神)を出雲隠岐両国の守護神として場内に祀られた神社である。
直政公が入国してから十年目の慶安元年(一六四八)は天候不順で、これに心を痛めた直政公は、当社の御神霊を船渡御によって出雲郷にある阿太加夜神社にお移しし、長期にわたり五穀豊穣の大祈祷を行わせたところ祈願が成就し、以来十年目毎に御神幸が行われる慣しとなった。
神輿船の曳船として櫂伝馬船が加わるようになったのは、文化五年(一八〇八)の御神幸の際、大橋川から中海に出る馬潟沖で風雨が激しくなり神輿船が危険になったのを馬潟の漁師が助けに出て出雲郷まで無事お送りしたことに始まる。
その後、馬潟、矢田、大井、福富、大海崎の五つの地区の櫂伝馬船が神輿船の曳船をつとめることとなり、江戸末期からは一二年目毎の五月に斎行されることになっている。
この神幸祭は、俗に「ホーランエンヤ」といわれ、初日の阿太加夜神社への渡御祭と「五穀よく稔り、諸の蒼生に至るまで、思わざるの災いなく、世のやすく、穏やかにありなんこと」を祈念する七日間の大祈祷の後当社にお帰りになる遍御祭は百隻にも及ぶ大船行列で、櫂伝馬船の上では歌舞伎衣装の剣櫂や女姿の釆振が"ホーランエンヤ"の唄に合わせ勇壮華麗に舞い踊る絢爛豪華な時代絵巻を繰り広げ、日本三大船神事の一つといわれる大盛儀である。
写真&文 ボウ a.k.a.タイチョー
鎮座地:松江市殿町449−2 |