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御代神社と段部のしだれ桜

御代神社(2010.4.13) |Comments(0)|Trackback(0)


おいしい葡萄が特産の雲南市加茂町三代に鎮座する御代神社(みしろじんじゃ)のご紹介です。
素戔嗚尊と稲田姫命を祀る古社で、本殿裏の樹齢数百年(おそらく)の古樹が印象的でした。すぐ近くの貴船神社にも800年ほどの古樹があり、この周辺の方々が、代々、樹木を大切にされてきたのが分かります。今回一緒にご紹介する段部のしだれ桜も樹齢300年以上の古樹ですので、このあたり一帯が樹木が育ちやすい土地柄なのかもしれません。桜の季節は終わりましたが、古樹めぐりをされてみるのも一興かと。


本殿裏の古樹。立派です。

以下の御由緒は境内の案内板より。
御代神社(式内社)御由緒[みしろじんじゃ]

(鎮座地)大原郡加茂町大字三代四八五

(主祭神)素戔嗚尊[すさのおのみこと] 稲田姫命[いなたひめのみこと]

(配祀神)大山咋命[おおやまくいのみこと]

(境内神社・祭神)高麻神社[たかさ](青幡佐久佐日子命)[あおはたさくさひこのみこと]貴布禰神社[きふね](高龗神)[たかおかみのかみ]稲荷神社 (宇迦之御魂神)[うかのみたまのかみ]荒神社 社日神[しゃにちのかみ]

(本殿/神紋)明神造[みょうじんづくり]・二重亀甲[にじゅうきっこう]に剣花菱[けんはなびし]

(祭日/祭典)例祭十月二十六日 祈年祭三月 新嘗祭[しんじょうさい]十一月 稲荷神社七月十四日 高麻神社十一月三日

(由緒・沿革)
当社は延喜式神名帳[えんぎしきしんめいちょう]ならびに出雲国風土記に登載せられた古社である。
主祭神・素戔嗚尊ご鎮座の起源は遠く神代の昔にさかのぼり、尊の八岐大蛇[やまたのおろち]退治の神蹟と尊の神格により、この地方の拓殖を遂げられた御偉業に起因するものである。
尊が高天原より天下り給い簸の川上に至って八岐大蛇をご退治になったとき大蛇狂乱の末その頭は下神原の草枕に、その尾は三代の地に斬り留められたと伝えられる。これを以て中世以来、社号を尾留大明神[おとめだいみょうじん]と称せられた。
特筆すべくは、元の御代神社の社地辺りが三種の神器の一つの天叢雲剱[あめのむらくものつるぎ]の発祥の地である。
合祭されている大山咋命は、五穀豊穣[ごこくほうじょう]・家庭日常生活の守り神としてそんおご神徳を仰ぎ広く信仰されている。当地方は大昔から治水事業に腐心を重ね、氏神さまを中心にして生活してきたものである。その年号は不明であるが、江州・滋賀県大津市坂本の日吉退社より大己貴命[おおなむちのみこと](大国主命で国土開拓・統治された)始め二十一神を分霊勧請[ぶんれいかんじょう]したものである。 社記によれば加茂町大字三代字東に鎮座し給う日吉神社は出雲国風土記に登載されている屋代郷比和神社[やしろごうひわじんじゃ]で、その後日吉神社と称し神原村大字三代宮の東である現御代神社社地に建立された。
御代神社は式内社として、延喜年間(901〜922)に全国の由緒ある神社を調査して延喜式神名帳に登録されたものである。永正十年(1513)の古棟札を最古として以後の造立再建の棟札は保存されているが、祭神勧請の年号は不明である。
当社は本来、御代神社を正号としてきたが中世以来、祭神のご神蹟により信仰上尾留大明神と称し、従って当社にある古棟札永正十年をはじめ以下天保十二年(1841)に至る十一枚の古棟札には尾留大明神と記されている。
これが現社号の御代神社と称号されるようになったのは明治維新改正後のことである。
明治三年(1870)に国家神道となり、明治五年(1872)に村社に列し、大正元年(1912)当社は神原村大字大津より旧日吉神社の旧社地の現在地に移転された。旧日吉神社は永禄四年(1561)より明治十六年(1883)までの造立再建の棟札が保存され、これによれば本殿、拝殿、随神門を有する立派な社殿であったが、大正元年に本社に合祀りされた。

追記 三種の神器の一つ「天叢雲剱」は、これより西方約500mの大津地内にある旧社地あたりが発祥の地である。


段部のしだれ桜。夜のライトアップがおすすめです。

鎮座地:島根県雲南市加茂町三代485
















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