隠岐の島町の玉若酢命神社(たまわかすみことじんじゃ)のご紹介です。
隠岐国の総社で隠岐の神社の中で最も古い1793年の建築です。
様式が隠岐造りで、出雲の神社よりは伊勢神宮よりの印象を受けました。
屋根も檜皮ではなく藁葺きです。境内に入ると巨大な天然記念物の八百杉が視界に入ってきます。境内案内板には樹齢1000年以上とありますが、観光ガイドには2000年と書いてあり、どっちなんだと思い近寄ってみると、出雲にある樹齢1000年以上の杉と比べても、八百杉の胴回りの方が格段に大きいので2000年程度生きているんじゃないかと思います。
【玉若酢命神社】
隠岐の総社として創建された神社で、島の開拓にかかわる神と考えられている 玉若酢命を主祭神としています。現在の本殿は、寛政5年(1793)の建築で、様式は 隠岐造りです。三間社の隠岐造では、水若酢神社、伊勢命神社とともに最大規模です。 社伝によると景行天皇が皇子を各国に分離した際に隠岐に遣わされた大酢別命の御子 が玉若酢命だと伝えています。宮司を務める億岐家は「隠岐の国造(おきのくにみやつこ)」 の末裔だと言われており、億岐家に保管されている2つの駅鈴と隠岐倉印は国の 重要文化財に指定されています。毎年6月5日に行われる「御霊界風流(ごれいふうりゅう)」 では馬入れ神事や流鏑馬などの行事が行われ馬付き達の勇壮な姿を見ることができます。
【八百杉】
樹齢1000年以上と言われている杉の巨木で、人魚の肉を食べて八百年生きたという 八百比丘尼(やおびくに)が若狭から来て植えたという伝説があります。 八百比丘尼の伝説から名前をとって八百杉と呼ばれ親しまれています。杉の名前からも 当時の隠岐と若狭の国との交流をうかがい知ることができます。また、 八百杉の根元に住み着いた大蛇が昼寝している間に八百杉の成長により外に出られなく なったため、自らの不甲斐なさから夜な夜な鳴いているという伝説も残っています。
鎮座地:島根県隠岐郡隠岐の島町下西713 |