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玉作湯神社「願い石」と「叶い石」

玉作湯神社(2009.7.28) |Comments(0)|Trackback(0)


今回は松江市内の玉湯町に鎮座する玉作湯神社(たまつくりゆじんじゃ)の紹介です。玉湯町の玉造温泉は出雲地方の温泉地のなかでも全国区と言ってもよいほど有名なところで、出雲観光の主要な宿泊地となっています。玉作湯神社は、その温泉街の上手の小山に社があります。

正面の鳥居をくぐってすぐ左手の社務所に「叶い石」がおいてあります。2cmほどのこの石を本殿横にある「願い石」にあてて願い事をして、紙に書いて持っておくと願い事が叶うので「叶い石」というそうです。写真の案内板にも書いてありますが、全国の方々が願掛けにいらっしゃるそうです。松江や玉湯町にいらっしゃった際には是非どうぞ。

【玉作湯神社(たまつくりゆじんじゃ)八束郡玉湯町玉造】

玉作湯神社は、奈良時代の『出雲国風土記』[天平5(733)年]に記された古社であり、式内社でもある。ご祭神は、玉作りの神 櫛明玉命、国造りと温泉療法の神、大名持命(大国主命)、温泉守護の神 少彦名命、の3神。
神社境内は、全域が国指定史跡で、花仙山周辺では最古の玉作り遺跡である。江戸時代には、隣接するお茶屋(松江藩別荘)に、たびたび歴代藩主の逗留があり、神社への崇敬も篤かった。
明治以降、天皇即位の式典に際し、ここで作られた瑪瑙・碧玉製品が献上された。

平成12年2月 玉湯町教育委員会

【史跡出雲玉作跡(宮ノ上地区)(国指定史跡、大正11年10月12日指定)】

町内にある国指定玉作跡3カ所のうちの一つ。玉作湯神社の境内を中心とし、約8840平方メートルの広さがある。保存管理計画策定のため昭和58年から59年にかけて発掘調査を行った。弥生時代の末期から古墳時代の後半まで盛んに玉作りを行っており、工房 の一部や大溝が発見されている。花仙山周辺では最初に玉作りが行なわれた地域。 現在埋め戻しているが、将来は史跡公園として整備予定。

平成8年3月 玉湯町教育委員会

【玉作湯神社と玉造温泉】

玉作湯神社(境内並に周辺、大正11年内務大臣指定史蹟保存地)
《御祭神》
〈櫛明玉神〉
八坂瓊勾玉等宝玉御製作の祖神
〈大名持神/小彦名神〉
当地温泉御発見・温泉守護・温泉療法・薬・秘呪の祖神
〈五十猛神〉
同社座・韓国伊太氏社・山林育成・植林・殖産・産業繁栄の祖神

玉作湯神社は、玉造温泉・玉造川東岸の小高い林の中に鎮座まします式内の古社であります。
「貞観13年11月神階従四位下を授く」と三代実録に見え、此の地の氏神で旧県社であります。櫛明玉命は天明玉・豊玉・羽明玉・玉祖神などの御異称をお持ちになって居て、天岩戸の前で神々のお計らいて神楽を奏せられた時、真榊の枝に懸けられた八坂瓊之五百箇御統玉は此神の御製作であった事は、古語拾遺(807年)にも明記せられ、玉作部の遠祖と仰がれ、此の地の原石を採って宝玉の製作をお司どりになったと伝え、日本書記(720年)に「素盞鳴尊が天に昇りまさんとする時、羽明玉神(古語拾遺には櫛明玉命とあり)は道に出迎え給いて、瑞八坂瓊の勾玉を献じ、素盞鳴尊は之を御姉天照大御神にお進め給いしこと等記され、当社々伝には三種神器の八坂瓊之勾玉は命が御製作になり給う由し申し伝えています。

天孫降臨の際には、櫛明玉命は随従の五部の神の御一神で製玉を司られ、又、古語拾遺に「櫛明玉命は出雲国玉作の祖也」と記され、更に同書に「櫛明玉命之孫、御祈玉を作る。其の裔、今出雲国に在り、毎年調物として、其の玉を進む」と見えています。当神社の御祭神の命が此の地に於て、此地の原石を以て、宝玉を製作せられた上代の盛業を偲び誠に尊敬にたえません。

大名持命・少彦名命の二神は共に国土経営、医療、医薬及び秘呪の術を創始になり遍く世人に施しその病苦を治癒せらる等、温泉療法・秘呪又は草根木皮を医薬として人命養護の道を拓かれた御祖神としても崇められています。
五十猛命は植林・殖産・産業繁栄の御鎮座ましますところであります。

社宝
1,上代各種玉類  184点(重要文化財)を初め400点余
2,上代玉磨砥   162点(重要文化財)を初め300点余
3,上代ガラス製造ルツボ片と上代ガラス一括(重要文化財)



この箱をあけると入っています。

「願い石」の案内板

真ん中の丸い石が「願い石」です。
境内の稲荷神社

ご神木。椿です。

鎮座地:松江市玉湯町玉造522























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